――おれも助けたい。ダチのパルスモンを。
ルガモンが言った。
息のつまる、せまい3畳のワンルームで。
永住瑛士は、自分のせいでかつての親友をDMIAにしてしまったことを悔いていた。
ハッカー・ジャッジであるレオン・アレクサンダーは、エイジを助けるために、ロイヤルナイツ・オメガモンを引き受けて身代わりになった。
エイジは後悔した。
クラッカーの仕事をめぐってハッカーのレオンに敵愾心を抱いたことも、SoCによるハッカー・ジャッジへの報復依頼を受けたことも。そもそも龍泉寺教授の依頼を受けたことから。
でも、エイジのようにトイレで吐いて泣きわめくでもなく。
パルスモンへの好意から、その気持ちだけでルガモンは言ったのだ。
――つまり、おれが進化しても暴走したのはさ……エイジ、おまえはそうじゃなかったからなんじゃないか?
ライバルと戦いたいという気持ちはおなじでも、その理由がエイジとパートナーデジモンとで違っていた。
ルガモンはパルスモンをトモダチだと思って。
エイジはレオンを、クラッカーとハッカー――もう大人だから友達ではないと思いたくて……。
「ルガモン……おまえがヘルガルモンに進化して暴走したのは、おれのせいだ」
エイジはしょげた。
マインドリンクしたとき、デジモンはデジコアを共有する人間の精神状態に大きな影響を受ける。
時として進化をサポートするが、逆にデジコアを不安定にもするのだ。
パートナーと気持ちをともにせずして、真に、完全体に挑めるわけがなかった。
「だろ? そうなんだよ! おれがしくじるわけねーし!」
ルガモンはふんぞりかえって、ふさふさの胸毛を揺らした。
「おれは勝ちたかった……。ハッカーのレオンを踏み台にしてでも、クラッカーとして勝ちたかった」
「パルスモンに負けたくなかったのは、おれもだけどな!」
「でも、おれは……負けるのが怖かっただけだ」
レオンに負けてSoCの信頼を失ったら、龍泉寺教授にもクラッカーの仕事を切られるかもしれない。
「――そう思ったら……また明日のこともわからない、不安しかない生活に戻るのかと考えたら……もう、嫌だった。」
エイジは思ったことを吐きだした。
言ってて恥ずかしくなったが、言わなくてはならなかった。
「じゃあ、助けようぜ! おれはパルスモンを! エイジ……おまえはレオンを!」
「ああ……!」
エイジは汚れた口をぬぐった。
やらねばならない。
でなくてはエイジは一生、この極狭ワンルームから足を踏みだすことができなくなる。
そもそもエイジが守ろうとした安心など、このちっぽけな3畳ほどの空間でしかないのだ。
こんなもの、いつだってくれてやる。
エイジは心も体も、どん底まで落ちてきたところだ。
負けることよりも、もっと怖いものを見た。知ったのだ。
「よし、エイジ! マインドリンクだ!」
「おう!」
エイジは腕のデジモンリンカーに触れた。
ところが……メニューにエラーが表示される。
「あー、バイタルチェックでマインドリンク不可になってんな」
ルガモンがため息をついた。
「えー……おれ、そんなに体調最悪なのか」
メンタルがやられただけで体までボロボロになるとは……。
一度マインドリンクしたあとは、残りのML持続時間の有無にかかわらず休息――インターバルが必要になる。
ようするにエイジは、この数日間ずっと布団をかぶって横になっていても、ちっとも休めていなかったのだろう。
「まぁ、そのロック外すのは簡単だけどよ」
「簡単なのかよ」
「でも、いまのエイジがデジコアにいたら……おれ、また暴走しちまうかもなぁ」
「あー」
いまとなっては実感としてわかる。こんな半病人をデジコアに――魂に同乗させたくはないだろう。
「とにかく、どうやってパルスモンとレオンを捜すかだ」
「…………」
ルガモンの言葉に、エイジは現実に引きもどされた。
どうやって捜せばいいのだ……。
ロイヤルナイツを道づれに〝乱渦〟の奈落へと落ちていったカヅチモンは、どうなったのか。
「〝乱渦〟に落ちたデジモンの消息とか、おれにもわからねぇ」
ルガモンが言った。
「ウォールスラムで聞きこみとか……」
「おまえが布団にくるまってるあいだ、おれはウォールスラムで情報を集めていた。成果はゼロだ。〝壁〟のむこうのことはわかんねぇ」
ではGriMMで、パルスモンに懸賞金をかけるか。
だが、スラムのデジモンが知らないことを、市井のクラッカーに聞いてもわかるとは思えない。
なんでもやるしかない。
ただ、あまりにも手探りすぎてエイジは途方に暮れてしまったのだ。
呼び鈴。
鳴ったのは……家のチャイムだ。
宅配……なにも注文した覚えはない。訪問セールス……それともエイジの声がうるさくて近所からの苦情か。
そう思うと気になって、音を立てずに動いてドアホンのモニタを見た。
だれもいない。
いや、ジャケットの肩だけが映っていた。カメラの位置をさけて立っている。
いかにもあやしい……。
居留守を使おうかと考えたとき、いきなり腕のデジモンリンカーが鳴った。
「うおっ!?」
着信。
ショートメッセージの通知だ。
――Tartarus:いま、おまえの家に来ている。
エイジがぎょっとしたとき、玄関ドアがノックされた。
「いるんだろ? クラッカー・ファング」
低い男の声。
その声にエイジは聞き覚えがあった。
クラッカー・タルタロス。
――おう! おまえSoCのリーダーか。
――なんだ、びっくりしたな。
たいしてびっくりしていない感じで。ドアの外からそんな会話が聞こえてきた。
ドアホンからも、ドア越しの声でもだ。
エイジはなにがなんだかわからなくなる。
「あれ……ルガモン? どこ?」
ホロライズしていたルガモンが部屋にいない。
まさか壁をすり抜けて外に出てしまったのか。DDL以外では、人目につくところでホロライズしてはいけない規約なのだが。
ガチャ……
玄関の電子キーが勝手に解除された。
デジモンであれば安アパートのセキュリティくらい、簡単に突破できる。
扉が開く。
同時にドアをすり抜けてルガモンが部屋に戻ってきた。
「おい、エイジ! タルタロスの中身のおっさんが来たぞ!」
「えー」
玄関に男が立っていた。
背格好はエイジとかわらないくらい。黒のジャケットスタイル。ノンフレームの、おそらくデバイスを兼ねたサングラスを外す。
その下の顔は30……40代?
はっきりしないのは、サラリーマンみたいな歳の重ねかたをしていないからだ。
凄みがある。まともな勤め人の風体ではなかった。
「上がってもいいかな」
たずねると、男は足もとを見た。
玄関はとてもせまい。スニーカーが脱ぎちらかしてあるので足の踏み場もなかった。
「あ……いや、え……」
エイジが応じる前に、男は靴をぬいで部屋に上がりこんでしまった。
玄関ドアが閉まる。
「エイジ、客だぞ。茶くらい出せよ」
ルガモンが言った。
「あー……」
「いや、おかまいなく。男のひとり暮らしで茶なんか常備してないだろ。いいな、この部屋……何畳?」
「あ、3畳」
「はやりの極狭ワンルームってやつか。へぇ……ロフトがあるしシャワーは個室……電子キー、ドアホン、ミニキッチンまでついて……」
タルタロスを名乗った男は開いていたトイレをのぞいた。
「――トイレはウォシュレットか。私が住みたいくらいだ」
「せますぎてトイレに座ると膝がつかえてドアが閉まらないんだけどな。あと壁は薄いぞ。となりでイチャついてる声が筒抜けだ」
ルガモンがつけ加えた。
「私が学生時代に住んでいたのは、ネズミが出る木造築40年アパートだった。……こちらはご両親の?」
男は膝をついて、位牌に目をやると手を合わせた。
エイジは、こうしたことのマナーはよくわからなかったが、ありがとうございますと頭を下げた。
「――WWW航空626便……たいへんな事故だった」
タルタロスは――エイジの素性くらい調べて知ってるのだろう。
エイジの両親が乗った機体は洋上でレーダーから消え、墜落した。デジモンテロだった。
遺体、遺骨がないため葬儀はしていない。事故からひと月くらいで認定死亡となった。エイジがやったことといえば行政上の書類手続きと、あとは繰出の位牌に両親の名前を刻んだ板を追加したことくらいか。
もろもろの事情で航空会社からの事故保証金は手もとに残らず、自宅を売った金はローンと相殺、わずかな生命保険金は生活費で消えていった。受験どころではなくなったエイジはフリーター生活、そしてクラッカーになった……。
「あ、これ、差し入れ」
男はコンビニ袋を床に置いた。
スポーツドリンク、お茶やらのペットボトルが入っている。
「…………あ」
エイジはつい声がもれた。喉がカラカラだ。
「もらっとけエイジ。おまえずっとエサ食ってないだろ」
ルガモンが言った。
「やっぱりそうか。そんな気がした。だからここに来た」
ネットではなくリアルのサポートが必要だと判断したと。
「なんで……?」
「…………」男は座卓の前であぐらをかいた。「私もそうだったから」
「え?」
エイジは相手の言っている意味がわからない。
「大切な人を、自分のせいでDMIAにしてしまった。あのときはしばらくなにも喉を通らなかった。後悔して、後悔して、後悔……吐いて、アルコールにおぼれて心を気絶させて、また吐いて」
「DMIA……? だれが? いつ?」
話が見えない。
この男は……クラッカー・タルタロスと名乗った。
けれどもSoCのリーダー・タルタロスは、作戦をともにした仲間を決してDMIAにしないのではなかったか。
男はもうひとつレジ袋を座卓に置いた。
お約束のようにエイジの腹がぐぅ~っと鳴る。
さっきから匂いでわかっていた。牛丼肉盛り、豚汁付き。
「エイジ……それは、きみが生きたいと思っている証だ。食え」
「…………!」
「食ったらシャワーを浴びろ。ゆっくり熱いシャワーを浴びて体をあっためる。10代ならそれで生きかえるはずだ。なんだ、フタをとって箸を割ってやらなきゃだめか?」
「いただきます」
エイジは箸を取って食事に食らいついた。
キャラクターデザイン・挿絵イラストレーター:malo