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ベッドに青年が横たわっていた。
DDLの医療室。
タオルを1枚かけられただけの姿で。点滴のチューブ、各種医療用センサーのコードが、ここまでするのかと驚くほど全身に取り付けられていた。
「――レオン・アレクサンダー、19歳、米国人、東京電脳大学の学生でDDL所属のハッカーでもある。通称ハッカー・ジャッジ……主な使用デジモンはパルスモンおよびその進化系統。**月**日推定時刻**時ごろ、マインドリンク中にデジタルワールドにおいてロスト、DMIA」
ユーリンは部下のサツキがまとめたメモをスマホで確認した。
ハッカー・ジャッジとしての彼とデジ対は、デジタルワールドでコンタクトすることもあった。警察にとってはあまりゆかいではない状況で。
「まさか、あの究極体遣いのハッカーが……」
こんなひどい姿になるとは。レオンの顔はやつれ、唇はかわいて血色がわるい。
そう……あのときのサヤのように。
ユーリンはメモを読みすすめた。
「DMIA。直接の原因、ウォールスラム近郊のポイント**-**-****においてTBに遭遇、コードRK発生」
コード以下の記号はデジ対が用いる符号だ。TBは〝乱渦(タービュランス)〟であり、そしてRKは、
――ロイヤルナイツ。
ユーリンは言葉をかみつぶした。
究極体カヅチモンをようするハッカー・ジャッジでさえロイヤルナイツと遭遇すればこのありさまだ。
まさにロイヤルナイツとは究極体すら超えた存在か。
最上位の〝門番〟ゲートキーパーAI。
……と、人類は理解しているが、なにもわかっていない。
ねらわれたら、まず逃れるすべはないということだけだ。
少なくとも現時点において、ロイヤルナイツに分類される聖騎士型デジモンとの遭遇は死と同義だった。
その死神の顔を拝まずにすむ方法は、経験則としてハッカーやクラッカー、デジ対のあいだで周知されている。
――〝深層〟をのぞこうとするな。
好奇心は猫を殺す。
冒険心は船乗りを殺す。〝乱渦〟あるいはウォールゲートなどと呼ばれる場所には絶対に近よらないこと。
「ハッカー・ジャッジはロイヤルナイツと遭遇しながら、なぜ、それを回避しなかったのか……」
レオン・アレクサンダーは逃げなかった。
なぜ?
ネットワークの正義とデジモンの保護をかかげて、クラッカーを排除しようとするハッカーにとって、本来、ロイヤルナイツは危険ではあったが敵対する存在ではない。
理由がある。
「事故に先だってレオン・アレクサンダーは、クラッカーの永住瑛士とDDLにおいて接触した記録あり……DMIAの通報者も永住瑛士」
レオンの腕にはスマートウォッチ型のドックが巻かれていた。
デジモンリンカー。
ユーリンが着けている、リュウダモンを格納したドックと色違いの同型だ。龍泉寺教授が設計した研究用の最新型。そういえば永住瑛士というクラッカーも所有していたはずだが……。
(彼ほどのハッカーになにが……自身とパートナーデジモンを危険にさらしてでも、そうしなくてはならなかった理由があったはず)
「私の教え子だ。きみの後輩だね」
声に、ユーリンは振りかえった。
「先生」
「わざわざ来てもらってすまない。警視庁で心から信頼できる人間など、きみしかいないのでね」
DDLのボス――龍泉寺教授はベッドに歩みよった。
「彼のことは知っています。先生の秘蔵っ子ということで、以前、あいさつくらいは」
「ふむ。そうだったかな」
龍泉寺はこたえた。
「先日の、新型装備品選定にご協力いただいたようで。感謝します」
ユーリンはご機嫌うかがいの話を振った。
「調子はどうかな。肝心の、現場の評判は」
「良好です。われわれ11係は信頼できる装備しか使いませんので」
「…………」
龍泉寺は、さっきから手もとでなにかをもてあそんでいた。
デジモンだ。ホロライズしたカエルもどきのベタモンが、レオン・アレクサンダーが眠るベッドの上にのっている。
「まさか、また教え子をデジタルワールドで遭難させてしまうとは」
首を振ると、仮想モニタでユーリンになにかを見せる。
鮮明とはいえない監視カメラの映像。
カプセル型の生命維持装置のなかで、ひとりの女性が色のついた溶液につかっていた。
「――サヤだ。いちばん最近の映像だね」
龍泉寺が言った。
そんな親友の痛ましい姿を見ても、ユーリンはなにも感じなくなっていた。
なにも、乗り越えていないのに。
サヤを助けられていないのに。
後悔して、つらすぎて、後悔して……何百何千回と繰り返すうちに、心のなかで、なにかを感じる部分が壊れてしまったのかもしれない。
以前はこうしてサヤの映像を見ることもできなかった。
いまでも見たいとは思わない……でも、龍泉寺が見せたがるので仕方なく見ている。
父親なのだ、この天才科学者も。
アメリカにある専門の施設に転院してからずっと、サヤは医療用カプセルのなかで眠っている。
眠り続けていた。
もう何年だ……赤ん坊が大人になるほどの歳月。
生きているのだ、それでも。
「変わらないのね、あなたは……サヤ。私なんかもう、こんなオバさんよ」
カプセルのなかのサヤは、大学生のころとさほど変わらない姿にも見える。
まるで不老不死。
植物状態になると代謝がおちて老化のスピードが遅くなる……なんていう話、フィクションであれば目にすることもあったが。
「きみはますます美しくなったと思うが、ユーリン」
「お上手ですね」
「いや、お世辞ではなくてね」
龍泉寺は、確かにそういうお世辞は言わないのだった。あるとすればかつての教え子への……ひいき目だろうか。
もしサヤが、あのままユーリンとおなじ時間をすごしていれば。
コースケと結婚した彼女には子供もいただろう。龍泉寺にとっては孫だ。
そんなしあわせな未来はすべて、失われたまま。
ユーリンはここに来た目的――報告をすませる。
今回のレオン・アレクサンダーの件は通常のDMIAとして処理する。
つまり、公にはなり得ない。
医師の診断は、原因不明の昏睡、意識不明となるはずだ。患者はアメリカ人だが親族にもそのように伝えられる。
「彼の父親は私の友人だ。彼は……わかっているはずだ」
「――ただし」
ユーリンは釘を刺した。
「ふむ?」
「レオン・アレクサンダーと接触していたナガスミ・エイジというクラッカーについては、11係としても放置できません。事情を聴くことになります。彼は……先生が契約しているクラッカーということですね」
「なかなか見どころのある若者だよ」
龍泉寺はエイジの存在を隠す気はない。
「そうですか。であればまさか、だれかを故意にDMIAにするような、殺人に等しい行為を行わないとは思いますが」
「これは不幸な事故だった」
龍泉寺は結論だけを告げた。
「はい」
「エイジくんはSoCのメンバーで……新人だが幹部級だね」
「存じています。彼は、うちの副班長をやりこめましたから」
「ナメクジ好きのサツキちゃん。実は私ね……これナイショだけど彼女のファンなんだ。彼女がこっそりやってるナメクジ動画のアカウントも知っている」
「はぁ」
冗談とも本気ともつかない。
「エイジくんのバックにはクラッカー・タルタロスがいる。そして、もちろん依頼主である、この私もだ」
龍泉寺は暗に警告していた。
デジ対の顔は立てるがナガスミ・エイジに深入りはするな――と。
「彼を……ナガスミ・エイジを守るためですか」
「そうだ。きみや象潟くんのように」
それを言われるとユーリンの心はたちまち重くなるのだ。
かつて龍泉寺は、娘のサヤを失った事故の責任から教え子であるユーリンとコースケを守るために、あらゆる手をつくした。
龍泉寺の当時の行動があったからこそ、いま、こうしてユーリンはいる。
「ナガスミ・エイジの扱いについては留意します」
「頼むよ」
「ただし、SoCのリーダー・タルタロスについては別です。私は……いまの彼を放置しておくことは、もうできない」
ユーリンはスマホをタップした。
写真。
3人でいた最後の夜、開発中の電臨区の工事現場で撮ったサヤとコースケの写真だ。
「クラッカー・タルタロス……コースケ、なにをしでかすつもりなの、あなた……」
SoCのリーダー・タルタロスの正体を、もちろんユーリンは知っている。
象潟講介だ。
タルタロス計画の事故のあと、ユーリンとコースケは別々の人生を歩んだ。
ユーリンは大学を卒業後、龍泉寺のもとには残らず、しばらくひとりですごした。
いまでいうクラッカー、いいやハッカー? どちらでもいいが、そんな感じの無職生活だ。
結果的にその経歴を買われて、ホワイトハッカーとして警視庁にスカウトされた。サイバー犯罪対策の人材は払底していたのだ。
龍泉寺電子工業は一時、解散の危機にみまわれた。
それでも出資していたメガテック企業の援助によって、アバディンエレクトロニクスと社名を変えて存続する。
それからのAE社と、龍泉寺教授の躍進は知ってのとおりだ。
AE社の共同創業者、技術部門の責任者となった龍泉寺は、電臨区の第1次完成、電脳大の開学とともに、その活躍の場を政財界に広げていく。
もし自分が龍泉寺電子工業に残っていれば……。
うまくすればビリオネアの仲間入りができたかもしれない。そのことについては、もったいないことをしたとユーリンは話のタネにして笑うだけだ。
ただ、AE社には象潟講介という天才プログラマの名もなかった。
ユーリンがつぎに象潟講介の名前を聞いたのは、ずっとあとになってからだ。
デジタルワールドの存在は世間に伏せられたままだったが、ネットワークのアンダーグラウンドではより一般化していく。
クラックチームというムーブメント。
武闘派組織SoCの台頭。クラッカー・タルタロスを称するSoCのリーダーの正体が、あの象潟講介だと知ったとき、ユーリンは複雑な感情に襲われた。
あのとき――
サヤのDMIAとともに、とどこおった時計の針がまた動きだした。
ユーリン、コースケ、そしてサヤの〝物語〟が……。
ユーリンは彼女のパートナーをホロライズした。
リュウダモン。
「これは龍泉寺先生、ご息災で」
鎧兜の成長期デジモンは神妙にあいさつをした。
「やぁ、リュウちゃん」
龍泉寺はリュウダモンにほほ笑みかける。
この人は、デジモンにはとてもやさしい。
「先生は……警視庁でデジ対の設立にたずさわっていた私に、このリュウダモンを託しました」
「そうだね」
「クラッカーとして悪名をはせていった彼――象潟講介のパートナーデジモンは、ドルモン。リュウダモンとドルモン……種の違うデジモンですが共通点があります」
ユーリンはリュウダモンに顔を上げるように促す。
「こうでござるか?」
リュウダモンはおでこを見せた。
「この、ひたいのインターフェースです。最新のデータ解析によれば、世代の古い……旧タイプのデジモンに分類されている。先生の論文ではなんと分類していましたか……そう、プロトタイプデジモン」
「あいかわらず勉強熱心だね、きみは。あのレポートは公表されているわけではないのに」
いってみればAE社の企業秘密なのだが。
「プロトタイプデジモンは希少種です」
「生きた化石……そう、シーラカンスみたいなものだね」
スペックが劣るという意味ではなく、デジタルワールドの古い形態を残しているということだ。
「リュウダモンはワクチン種、ドルモンはデータ種……そしてウィルス種のプロトタイプデジモンも確認されています。それが最近になって、われわれデジ対の監視網にやたらと引っかかるようになった。そうです、ナガスミ・エイジのパートナーデジモン――」
ルガモンだ。
「ルガモンは以前、ウォールスラムで、われわれDDLが捕獲した。いろいろあって、私がエイジくんに託した。きみやコースケとおなじように、見込みのある若者にだ」
龍泉寺は言った。
「〝D4〟……それは企業秘密では」
「そうだねユーリン。だが、きみに隠しごとはしない。エイジくんはレオンくん……ハッカー・ジャッジにも引けをとらないDS値をルガモンとともに記録している」
「…………。それほどですか」
ユーリンは内心、息をのんだ。
タルタロス計画の当時とは測定方法も違うが、パートナーデジモンとの相性をしめす指標として、DS値はいまでも使われている。
「そして未だに成長しているんだ。わくわくするよね……これは私の予感だが、エイジくんはサヤにも匹敵するかもしれない」
「…………!」
まさか、という言葉をユーリンはのみこむ。
「当時と比べればガジェットはケタ違いに進歩している。いったいエイジくんは……きみたちと、どんなデジタルワールドをきりひらくのかな」
リュウダモンのインターフェースをなでる仕草をすると、龍泉寺は言葉を切った。
用件はこれでおわりだ。
「もうひとつ……ナガスミ・エイジに、プロトタイプデジモンとデジモンリンカーを与えた理由は?」
「退屈しないためかな」
龍泉寺は答えた。
「先生の……口癖ですね」
ユーリンは苦笑いを浮かべた。それは事実であり、同時に、この天才科学者がよく使う詭弁でもある。
「若者は、いつだって私のような年寄りの想像を超えていくんだ。私は、それを見守りたい。それが私の研究のため……デジタルワールドとデジモンの未来のためだ」
龍泉寺の言葉にウソはないと思えた。
「デジタルワールドとデジモンの未来のため……安心しました」
「ふむ」
「本日はありがとうございました。われわれデジ対の任務はデジタルワールドにおける日本人および日本在住者の保護です。レオン・アレクサンダーのDMIAについて、彼……ナガスミ・エイジを事情聴取することになります」
「デジタルワールドに挑むのは……」
会話の流れを切って、龍泉寺は勝手に話しはじめた。
「――デジタルワールド〝深層〟を目指すのは、クラッカーでもハッカーでも、警察や国家でもよかったんだよ」
龍泉寺はベタモンをなでる仕草をした。
「…………?」
「象潟くんをとめられるとすれば、それは私ではない。ユーリン……きみだけだ」
着信音。
失礼します、と断ってからユーリンはスマホの着信を受けた。
「――サツキ、おつかれさま。…………いま? DDLだけど…………え?」
デジタルワールドの異変を知らせる電話だった。
キャラクターデザイン・挿絵イラストレーター:malo