東京電脳大学付属病院。
自宅マンションから救急搬送された患者が、救急救命室から集中治療室に移されて、ベッドで横になっていた。
意識レベルは深い昏睡、バイタルサインは低下しているものの正常値。
もし脳を精密検査しても、外傷は見つからないはずだ。患者の肉体は健康そのもの。心療内科でカウンセリングを受けているが、いまどきは珍しくもないし、オーバードーズの形跡もない。いずれ原因不明の脳障害による植物状態と診断されることになるだろう。
「残念なことになったね」
龍泉寺はベッドの教え子を見つめた。
数時間前――
ハッカーのレオン・アレクサンダーが、マインドリンク中にLラインを超えてロストしたと連絡があった。
クラッカーの永住瑛士からだ。
彼もまたデジタルワールドでマインドリンク中に危機におちいったが、生還したという。
エイジは、レオンと面識はあったが自宅を知らなかった。だから龍泉寺に連絡してきたのだ。
龍泉寺は救急車を手配、意識不明の状態で自宅で発見されたレオンを電臨大学付属病院に搬送させた。マンションの鍵はあった。レオンが住んでいた部屋の名義は龍泉寺のものだった。
DMIA(Digital Missing In Action)。
マインドリンクの持続時間を超過したことで、デジコアと癒着したハッカーの意識は、リアルワールドと彼の肉体に帰ってこられなくなった。
ロストだ。
「レオンくんとユーリンは……面識はあったか」
警察……ことがことだけに、筋としてデジ対にも知らせないわけにはいかない。
レオンはアメリカ合衆国市民だ。父親はデジタルワールドの存在を知る学者……それなりの問題にはなるのだろう。
デジタルワールド研究における……不幸な事故だ。きわめて。
枕元に置かれた、手術中に外されたデジモンリンカーを、龍泉寺はレオンの腕に着けた。
――きみは〝嘘〟を知りすぎたね。
レオンの心臓は、医療機器の画面に弱々しくパルスを刻んでいた。
レオンのDMIAを龍泉寺教授に通報したあとのことは、なにも覚えていない。
3畳ワンルームのロフトで布団にくるまったまま。
時折、発作のように、不安をわけのわからない声にしてわめく。
――勝つ、勝つ、勝つ。
願った。
そして、失敗した。失敗した。失敗した……。
エイジは進化し、失敗した。
完全体にはなれたが、そのチカラがエイジ自身を裏切ったのだ。
人生の踏み台にしようとさえした相手は、自分を犠牲にして、エイジをかばってロイヤルナイツという死神を引き受けた。
レオンは帰ってこられない。
レオンの意識は、リアルワールドとデジタルワールドの境界をまたいでしまった。
取り残されたレオンの肉体は昏睡、いまも意識不明のままだ。けっして回復することのない眠りについたまま。
どんなに後悔しても声は届かない。
此岸と彼岸。
どちらにせよ、もはやレオン・アレクサンダーは死んでいる。〝壁〟のむこう――あちらがわにいってしまった。
カヅチモンは、パルスモンはいなくなった。
永遠の迷子だ。
もし運よくロイヤルナイツから逃れられたとしても、レオンの意識は、とうにデジコアと癒着してしまったはずだ。龍泉寺によれば、DMIAの状態から意識を自然回復した者はいないという。
エイジはレオンを見殺しにした。
クラッカーとして研ぎ澄まし、進化したあらたなチカラでは、だれも救うことができなかった。
「おれが……レオンを……! うぷっ」
嘔吐(えず)く。
口を押えて、ロフトのハシゴを転げ落ちながらトイレに駆けこむ。
掃除していない便器にしがみついて、吐く。
胃液だけだ。なにも吐くものが残っていない。
苦い。口をゆすぐ気力もない。
「エイジ、デジモンリンカーの数値がヤバいことになってんぞ」
ルガモンがロフトから見おろした。
こいつは……意外と元気だ。
ルガモンは、さいわいデジコアに致命的な損傷はなかった。ダメージといえば、あのロイヤルナイツに食らった砲撃一発だけだ。皮肉だが、暴走した完全体の耐久力に守られたのだろう。
「…………。うぅ……だめだ」
心がどうにかなってしまう。
わめいてでも、なんでもして心を気絶させるしかなかった。
エイジはデジモンリンカーのベルトに手をかける。
「おい、外すなよ? おれ、そこにいるんだからな」
「なにがクラッカーだ、なにがマインドリンクだ……なにが……なにが進化だ……! おまえを暴走させて、ひどいめにあわせて、ぜんぶレオンにケツふかせて……おれは! こんなのが、ほしかった〝勝ち〟だったのかよ……!」
通知音が鳴る。
デジモンリンカーの画面にショートメッセージが流れた。
――すばらしい。クラッカー・エイジ、きみこそSoCの英雄だ。
リーダー・タルタロスからのメッセージだった。
短い賞賛の言葉が、ずぶりと胸をえぐる。
成功した。
タルタロスからの指令どおり、ハッカー・ジャッジに制裁を与えた。
方法はエイジに一任されていた。
二度とハッカー・ジャッジはSoCにからんでくることはない。SoCに手を出そうとするハッカーもいなくなるはずだ。
エイジは、いまやSoCの英雄。
龍泉寺の依頼どおり、幹部として組織にはいりこみ、重要な内部情報を知り得る立場になった。
このためにレオンと戦った。報復。シメシをつけた。
すべて成功して、すべて失敗した。
さらにいえば……DMIAになっていたのはエイジのはずだったのだ。
あのとき、あのロイヤルナイツ・オメガモンは、どういうことかはわからないが……執拗に暴走したエイジのヘルガルモンばかりをねらっていた。
「エイジ、なんで吐いてんだ?」
ルガモンがロフトから飛び降りる。
「…………。つらいから」
「なんで」
「友達だったんだ、レオンは……いちばん仲がいい……」
「マインドリンクしたままカヅチモンごと〝乱渦〟に落ちたっていうんじゃな。どうなっちまったか、おれにもわかんねぇよ。わかるやつなんかいねぇだろ」
「そうだよ……おれが……ぜんぶおれのせいだよっ……!」
心が悲鳴を上げていた。
デジタルワールドにおける失踪――DMIAへの関与を問う法律は存在しないはずだ。
エイジが、レオンの意識不明について逮捕されることはない。デジ対に事情を聴かれることはあるかもしれない。
クラッカーは、デジタルワールドでなにを起こそうと、本来だれにも罪を問われない。
だから、だれのせいにもできない。
罪は存在する。
すべての罪はクラッカーとして自分が負わねばならない。クラックチームの〝自由〟のもとで。
「――思いだしたんだ」
エイジはかすれた声をもらす。
「なにをだ?」
ルガモンは床にぺたんと座った。
「おまえとおなじだ、ルガモン。昔のこと……小学生のとき、おれ、レオンと川に遊びにいったんだ。家族みんなで……川原でBBQ」
「肉を焼くやつだな! そういえば腹へったな」
そういえばルガモンにエサをやっていない。
「親たちが準備しているあいだ、おれとレオンは川で遊んでた。おれ、けっこう川の深いところまで入ってたみたいでさ。レオンはあぶないよって言った。準備ができて、親に呼ばれて戻ろうとしたとき、おれは足を取られて……」
流された。
それは、ほんの数秒のことだったのだと思う。
おぼれて水に顔をつけたときに見た川底は……とても澄んでいて、とても深くて、とても怖かった。
「どうなったんだ? そりゃ死んでたら、おまえ、ここにいないけど」
「レオンが……下流にいたあいつが手を伸ばしてつかまえてくれた。たまたま足が届く場所に流されたんだな。運がよかった……そのときはヤバかった~、ってくらいで、おたがい笑ってた。親も、おれが流されたことには気づいていなかった」
でも……ずいぶんたってからテレビで見たのだ。おなじ川で、小学生が事故で亡くなったニュースだ。
「おれも一歩間違えたら……って思った」
レオンが助けてくれたのだ。そう、また……。
「なぁ、エイジ」
「なんだよ」
便器につっぷしたまま、エイジは顔を上げられない。
「これ、開けちまった」
「なんだそれ……? ああ、あのときもらったやつか……」
ルガモンが見せたのは、DDLのカフェでパルスモンからもらったデータボックスだった。
トイレの水を流す。
ハッカーからのプレゼントとか、ウィルスが入っているとかいって、ほったらかしていたやつだ。
「エサだ、ほら」
ルガモンが好きそうな感じに加工された、マンガ肉のデータだった。
「ほんとに、ただのプレゼントだったのか」
「うまそうだぞ。あとはメッセージ……手紙だけだ」
「なんだって、パルスモンは……」
パルスモン――カヅチモンの行方は知れない。〝乱渦〟にのまれたあと、どうなったのか……。
「また会って話そうなって」
「…………!」
それでは……。
まるでパルスモンはルガモンと、ほんとうに――
「なぁ、エイジ」
「なんだよ」
「おれ、なんで暴走したのか……ヘルガルモンに進化したのか、なんとなくわかったかも。聞いてくれるか」
「え……?」
エイジはルガモンを見た。
「おれはパルスモンと、もういっかい会って戦いたかった。下に見られたままとかムカつくからな! 戦って、勝って……いや、負けたかもしれねぇけど! 戦って、あいつの〝強さ〟をもらったあと……」
「〝強さ〟をもらう……?」
「強いやつと戦ったら強くなるだろ! パルスモンともっと戦って……もっと話したかった。あれ……てことは、あいつもそうだったんだな! 戦ったあと、おたがい笑ってエサでも食いたかった」
ルガモンはエサ肉にかじりつく。
「――モグモグ……つまり、おれが進化しても暴走したのはさ……エイジ、おまえはそうじゃなかったからなんじゃないか? レオンとさ……うめーな、この肉」
「…………! っ…………」
なにも言いかえせなかった。エイジは、彼のデジモンに……。
――ハタチになったら、いっしょに酒のもうぜ。
それでよかったのだ……。
…………。
「なぁ、おれとパルスモンって、トモダチになったのかな?」
肉をペロリとたいらげると、ルガモンは骨を舌でなめる。
エイジは、いまの自分の顔を見られたくなくて――また便器に顔を突っこんだ。
「……そう思うならそうだろ」
「なぁ」
「…………」
たかぶった気持ちとともに、涙と鼻水、なにもかもがあふれだした。
「エイジは、トモダチをたすけたいのか?」
「あたりまえだろ! おれのせいなんだぞ……!」
エイジは、レオンを助けたい。
手を引っ張って、いっしょにデジタルワールドから帰ってきたい。
レオンはエイジのために……。
――おれも助けたい。ダチのパルスモンを。
ルガモンが言った。
「エイジ、言ってたよな? トモダチっていうのは、そいつのために自分が、なにかをしてやりたいと思えるやつだって。ちょっとくらい自分が損してもだ!」
「ルガモ……ン…………!」
エイジは相棒の名前を呼びかえした。
でも嗚咽がとまらず、うまく発音できない。
「ロイヤルナイツ野郎と、やりあうことになったとしてもだ! トモダチはハードモードだからな!」
キャラクターデザイン・挿絵イラストレーター:malo