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GriMM・チャンネルSoC。
自室にいたマーヴィンを、訪れる者がいた。
「どういう風の吹きまわしだ……? あんたが、わざわざ見舞いとは」
マーヴィンは来客を迎えた。
町工場の入り口に立っていたのは、ネクタイ鉢巻のサラリーマン風アバター……SoCの面接官だ。
「後遺症もなく、よかった……わが友マーヴィン」
面接官……ではなく、その足もとにいたデジモンが言った。
――ドルモン 成長期 獣型 データ種
ふさふさの尻尾を揺らして。
ドルモンの分類は獣型だが、よく見ると背中に小さな翼がある。そのデジコアには伝説の幻獣ドラゴンのデータを宿しているという。
「おかげさまで帰ってこられたよ、ドルモン」
マーヴィンがこたえた。
「メガドラモン……エアドラモンの容態は?」
「さいわいデジコアに重大な損傷はなかった。いまはメンテ中……しばらく入院だな」
キャットウォークに、マーヴィンのデジモンの姿はなかった。
「もしメガドラモンが停止したまま、きみの意識がLラインをまたいでいたら……」
DMIA。
マーヴィンはネットワークの迷子になっていただろう。
「ふっ……あんたたちがスカウトした新人に助けられた。まったく、おれとしたことがハッカーごときに……初めてネットの世界で歳をとったと感じたよ。潮時かもな」
マーヴィンはボヤきがとまらない。
すでにGriMMの界隈では、X国の件がうわさになっている。
ハッカー側が情報をリークしているのだ。
X国データサーバにおいて大規模な作戦行動中のSoCが、たったひとりのハッカー・ジャッジに阻止された。
ジャッジは、国家機密級デジモンを失ったX国もろとも、SoCとリーダー・タルタロスを出し抜いた、と。
「ハッカー・ジャッジに対する報復を検討する」
ドルモンが言った。
「〝ジャッジメント〟レオン……やつを的にかけるということは、おれの母国……星条旗を敵にまわすことになるな」
マーヴィンは考える仕草をした。
「これはSoCだけでなく、クラックチームの理念に対する危険な挑発だよ」
――放置できない、ということだ。
ずっとだまっていた面接官が、言った。
いいや……ネクタイ鉢巻のアバターの姿は、もう、そこにはなかった。
ドルモンのとなりに立っていたのは、ジャケットを羽織った男のアバターだ。
左目の上からひたいにかけて傷跡がある。どう見てもサラリーマン風ではないだろう。
――Tartarus
面接官はサブのアバター、仮の姿。
その正体はSoCのリーダー、伝説のクラッカー・タルタロスだった。そのことを幹部のマーヴィンは知っている。
「――いよいよ、始めるのか。あんたの……あんたたちの真の戦いを。タルタロス、ドルモン……」
マーヴィンは彼のリーダーを見つめた。
「機密級デジモンの1体喪失は痛いが……機は熟した。最後の1ピースがようやくそろったんだ」
「〝九狼城の魔狼〟ルガルモン……そしてクラッカー・エイジだ」
タルタロス、そしてドルモンは、パートナーとしてその意をともにしていた。
「エイジか……あんたたちが目をつけただけのことはあった。初めは、お調子者のファッション野郎かと思ったが……おだててもつけあがらず、勘違いはしなかった。プロ根性もあるな。逃げださず、おれを見捨てなかった。正直いって、おれはエイジのことが好きだぞ」
「へぇ」
ドルモンが小さく笑った。
「だが……あいつのパートナーは、まだ成熟期だ」
マーヴィンが懸念を伝える。
「伸びしろはあるだろう。あってもらわねば困る。そのために……」
「タルタロス……おまえ、まさかエイジを」
「進化だ」ドルモンが続けた。「成長を促すのは、いつだって限界を超えたときだ。限界を踏み台にしたとき」
ドルモンが仮想モニタをひらいた。
ナガスミ・エイジと、レオン・アレクサンダーの顔写真、データが表示される。
「――おれたちは、まだエイジの本気を見ていない。彼というクラッカー……人間を見なくては、最後に、彼に背中をあずけることもできない」
――われわれSoCは、ネットワークとデジモンの自由のために。
「おまえは最後まで、おれと、タルタロスの背中を守ってくれるか……? 〝ソングスミス〟マーヴィン」
「もちろんだ、われらが盟友ドルモン。そしてリーダー・タルタロス――」
アバディンエレクトロニクス社・電臨区デジタルラボ。
D4区画、シミュレータールーム。
ラボ所属のハッカー――レオン・アレクサンダーは、耐久テストを終えると、測定用のヘルメットを脱いでシートから体を起こした。
「おつかれ、レオン!」
パートナー――パルスモンがホロライズして、まわりをせわしなく走りまわる。
このデジモンはすばしっこく、せわしなく、じっとしていることが苦手なようだ。
「おつかれさま、パルスモン」
レオンは立ちあがった。
身長180あまり。ぴったりした測定用のスーツを着ていると、鍛えられたギリシャ彫刻のような体がよくわかる。髪はくすんだブロンド、碧い瞳。まだ19歳だが、育ちがよさそうな印象だ。
「やったね! ついにマインドリンク持続時間の記録更新だ!」
あくまでもシミュレーター上ではあったが、確認できるなかでは世界記録かもしれない。
「そっか……うん、きみのおかげだよ、パルスモン」
「ま、そういうことかな! おいらとレオンは最速最長! なんたってレオンがオシメをしていたころから……」
「それは話を盛りすぎだよ」
「レオンが、こんなちっちゃな小学生のときからのコンビさ! にわかクラッカーなんか相手にならないって」
――すばらしい!
シミュレーションルームのスピーカーから声がした。
見ると、ガラスのむこうの部屋に龍泉寺教授が立っていた。
「いらしてたんですか、先生」
レオンは頭を下げた。
「やっほー、リューちゃん」
パルスモンは失礼きわまりない。
デジモンの性格は、育成したパートナーに似るという話もあるのだが……このコンビについては、まったくあてにならないようだ。
「やっほー、おはよう、パルスモン」龍泉寺は茶目っ気たっぷりにノリを合わせる。「そして、おめでとうレオンくん」
「ありがとうございます、先生……」
「合衆国はWWW-626便の犯人に報復したね」
龍泉寺が言った。
意味するところを察して、レオンは――碧い瞳がするどい冴えをおびる。
「…………」
「X国データサーバにおいてSoCが、かねて観測されていた大規模な作戦を実行。しかしハッカーの乱入によって作戦は頓挫、X国もまた虎の子の機密級デジモン・ムゲンドラモンを喪失した。まったく、すさまじい……ハッカー・ジャッジの作戦能力は一国に匹敵する」
龍泉寺はハッカー・ジャッジ、すなわちレオンをたたえた。
「ムゲンドラモンはWWW-626便墜落事故の黒幕でした。100人以上のアメリカ国民が犠牲になった。アメリカは決してテロを許さない」
「だれの指示かね? 国防総省?」
「いいえ、ぼくの独断です。このタイミングしかなかった。ぼくにとってWWW-626便墜落事故……あのテロは、そそぐべき屈辱であり、乗り越えねばならぬ敗北でした。ぼくがハッカーとして生きていくための」
「そういうことにしておこう」
龍泉寺は、それ以上はレオンに問わなかった。
「はい」
「SoCの作戦にタダ乗りとは、まったく痛快だ……! いやはや……あのときの子供が。ほんの数年前か、私がデジモンドックとデジタマを託した坊やが、こんなにも成長するとは」――――
レオン・アレクサンダーは小学生時代からの数年間、日本に住んでいた。
父親は大学の助教で、東京電脳大に勤務していた。
あるときレオンは父親の縁で、大学に隣接するアバディンエレクトロニクス社のラボに遊びに行った。
そこで父が「先生」と呼ぶ人が、ふしぎなモノクロ映像を見せてくれた。
ドットで描画された、生き物のようなものが画面のなかで動いていた。
教授は、これはゲームやオモチャではなく、このリアルワールドとは異なる世界、デジタルワールドに存在するデジタル生命体だと教えてくれた。
――きみは、この生き物を大切に育ててくれそうだね。このドックをあげよう。
キーチェーン型のデジモンドックだった。
ドックのモノクロ画面にはタマゴ――デジタマがひとつ。
このタマゴから生まれるAI生命体は、育て方によって進化と呼ばれる形状変化をする。教授は、この生命体をデジタルモンスター(デジモン)と名づけた。
レオンはデジモンの育成にのめりこんでいく。
おとなしい性格のレオンは、もともと友達が多いほうではなかったが、デジモンとの出会いをきっかけに、ますます内向的になった。
学者肌の父親は、そうしてなにかに熱中する息子の将来を、必要以上に案じることはなかった。
いちばん仲がよくて、家族ぐるみの付き合いがあった親友――ナガスミ・エイジにだけは、こっそりデジモンドックとデジモンを見せたことがある。
デジタマから孵化したデジモンは、そのときには成長期に進化していた。
パルスモンだ。
エイジは、そのときどんな反応をしたのだったか……。
「いいな」とか「ウンコするのか」とか「うちの犬より、いうこと聞くな」とか、なんだかんだほめてくれた気がする。
そんなエイジとも中学受験、進学を境に疎遠になった。別の学校になったからだ。
そして、ほどなくしてレオンは父の仕事の都合で、急にアメリカに帰国することになった。見送りはだれもいなかった。担任以外、だれにも伝えなかったから。そのことはたいして気にならなかった。
AI生命体デジモンの研究にかかわりたいと希望したレオンは、尊敬する先生――龍泉寺智則のいる東京電脳大への進学を目指しはじめる。
龍泉寺とは、折に触れてメールで連絡をとり、パルスモンについて報告をした。
龍泉寺はデジモンの育成、ドックの自作・改造方法について、参考になるネットの情報とあわせて指南してくれた。
気がつけばレオンは、アンダーグラウンドのGriMMに入りびたる〝ギーク〟になっていた。
ハイスクール時代。
レオンはネットワーク上で経験を積み、父親のツテで手に入る装置とパーツを駆使、ついにマインドリンクするまでのスキルを身につけていた。
自信は深まる。
それは、自分はデジタルワールドを、世界の裏側を知っているという自信。真実に触れる者だという自負だったのだろう。
ネットワークでは、デジモン犯罪という違法行為がまかりとおっている。
クラックチームという危険思想・犯罪集団に義憤を覚えたレオンは、正義のハッカーとしての活動を手探りで始める。進化したパルスモンとともに。
運命のその日――
GriMMを通じて大規模なデジモン犯罪の兆候をつかんだレオンは、マインドリンクによってネットワークへのダイブを敢行した。
デジモン犯罪を引き起こそうとするテロリストと、それを防ぐアンチ・サイバーテロ組織――米軍サイバー特殊部隊との戦い。
結末だけは、みなが知っている。
WWW-626便は予定の航路を外れて、洋上でレーダーから消えた。墜落。フライトレコーダーは回収されていない。乗客乗員***名は死亡。
この最悪の航空機墜落テロを引き起こしたのは、X国の国家機密級デジモン・ムゲンドラモンだった。そしてアメリカは、このときテロの阻止に失敗した。
レオンは――
正義のハッカーを自称したレオンとパルスモンは、このとき無力だった。
おそるべき究極体ムゲンドラモンは、さながら黙示録の悪魔のようで。
傷つき倒れたパルスモンのデジコアのなかで、マインドリンクの限界時間がせまるなか、レオンは泣いていた。
パートナーのデジモンを傷つけてしまった自分が。
テロを防げなかった自分が。許せなかった。
屈辱、敗北。
しかしレオンは、挫折だけはしなかった。
ハッカーとしてチカラをつけていったレオンは、実績を重ねるなかで自信を取りもどしていく。
学校の成績は最優秀。身長も伸びて、精神修行のために格闘技・武術を習いはじめた。本格的な軍事訓練も受けた。
なによりもレオン自身が、胸を張って前向きになった。
目標。
電脳大への進学。龍泉寺のもとで、ハッカーとして成長し、リアルワールドをデジモン犯罪から守る。それはデジモンを悪のクラッカーから守ることだ。
自分の将来をはっきりとイメージして生きること。ものごとを選択すること。それによって切り捨てられたものもあれば、寄ってきたものもある。
同世代からは大人っぽいと思われたのかもしれない。まわりには自然と、女の子も寄ってきた。本業は学生、ハッカーの仕事を副業にして経済的にもはやばやと自立し、ハイスクール時代はそれなりに華やかだった。
大学生となりレオンは再来日、念願の東京電脳大学に進学した。
龍泉寺のもとで、DDLにハッカーとして出入りするようになり、ほかの学部生とは一線を画した生活をしている。
大学生として暮らしながら、ネットワークの世界では正義のハッカー・〝ジャッジ〟としての活動を本格的に始めた。
そのことを龍泉寺は、もちろん知っていたが……多くを語らず、あらたなデジモンリンカーを提供して陰ながら支援してくれた。
いつしかレオンは龍泉寺の、研究者としてだけではない、権力者としての側面を知っていく。
軍、警察への技術提供。
各国の政治首脳との、太いパイプ。
だれよりもデジタルワールドを愛し、知り、その叡智を生かそうとする龍泉寺は、レオンにとってヒーローであり理想の人間だった。合衆国国防長官とのオンライン会議で、龍泉寺のかたわらにいることを許され紹介されたレオンは、心を正義で満たされた。
パルスモンは進化する。
成熟期――完全体バウトモン、究極体カヅチモンとなって。
クラッカー、犯罪者とそのデジモンを殲滅するのだ。
デジタルワールドには正義が必要だ。こうして〝ジャッジメント〟レオンは誕生した。
その名は、ほどなくしてネットワークに広まった。
クラックチームの天敵として。
警察、デジ対もまたハッカー・ジャッジを無視することはできなくなった。
DDL、シミュレータールーム。
むこうの部屋からガラス越しにこちらを見ている龍泉寺教授を前に、レオン・アレクサンダーはパルスモンに時計を確認した。
「――そろそろ約束の時間だね」
「このあと、なにか用事かい?」
龍泉寺がたずねる。
「はい、実は……」レオンは言葉を選んだ。「旧友と会うことになっています」
「ほう? 珍しいね」
「偶然、ネットで再会して……これは、ぼくも知らなかったんですが。これから会うのは小学校時代の同級生で、先生もご存じの相手です」
ニュースメディアは、X国で起きた異変のことを知らせていた。
国際社会と断交した独裁国家のことなので、詳細は伝わっていない。衛星写真の解析によると、首都の電力がごっそり落ちて、まっ暗闇になっているという。
――この痛ましい大被害は、犯罪者クラッカーのネットワーク攻撃の結果であり、当然、われわれは怒りとともに報復するだろう。
X国の独裁者は、自ら会見を行って映像を公開した。
もっとも事情を知る国際社会の首脳たちにとっては、彼の演説はこっけいに映ったはずだ。
独裁者は、そのサイバー戦争能力の過半を喪失したのだ。
虎の子の国家機密級デジモンを失った。内心は屈辱で震える思いのはずだ。
(そのサイバーテロの最前線に、おれはいたんだな……)
エイジにとって、自分のなかにあったクラッカーのイメージとは、これだ。
奇妙な高揚感。
不安がないわけではないが、それでもふくらむ期待――自分への、自分の人生の成功への期待。フクザツだが、ふわふわした達成感。
とりあえず……いまエイジはわりとイケている。20年たらずの人生だが、いちばん。
――エイジ!
声が飛んだ。
DDLのロビーで、ベンチに座ってスマホに目を落としていたエイジは顔を上げた。
あの、三つ巴のオブジェがホロライズされている。
ゲートのむこうから現れて手を振ってきたのが、エイジが今日、会う約束をした相手だ。
小学生のときの記憶が思いだされる。
きゃしゃな女の子みたいだった彼――レオン・アレクサンダーは、背の高い、見違えるほどたくましい青年に成長していた。
キャラクターデザイン・挿絵イラストレーター:malo