ネットワークにある種の国境は存在する。
国家は、しようと思えばネットワークを外国から遮断できる。海底の光ファイバーケーブルを切断して通信衛星網をおとせば、物理的にネットワークを切ることもできはするだろう。
だが、デジタルワールドに国境はない。
このことはセキュリティの重大な問題となっていた。
SoCはまさに、その問題行為をしている。
これからやることはX国への不正アクセス、サイバーテロだ。ただ、その対象が、同類のクラッカーでテロリストで独裁国家だというだけで。
ルガモンは、さながら光の速度でデジタルワールドを駆け抜ける。
「リーダー・タルタロスは機密級デジモン――究極体を集めて、どうするつもりなのかな?」
エイジはたずねた。
マーヴィンとマインドリンクしたエアドラモンは、少し前を先行している。
チームは2人1組。ほかのペアは、それぞれ別ルートをすすんでいるはずだ。
「集める?」
「さっき捕獲って言ってたじゃん? 破壊じゃなくて」
国ぐるみのテロ屋みたいなヤバいやつのところに押しいって、虎の子のデジモンをかっさらおうというのだ。ただ破壊するよりもむずかしいはずだ。
「ふん……エイジ、おまえが興味があるのはタルタロスか……この作戦ではなくSoCの組織そのものだと」
マーヴィンの声に、とまどいがまざった。
「えーと……」
「おれですら、この作戦のことだけで頭がめいっぱいだっていうのによぉ……! 正直いうと昨日は眠れなかった。頭がキレすぎるやつは警戒されるぞ? 頼むぜ、まずはこの作戦だ」
マーヴィンは、いよいよエイジを過大評価しまくってしまったみたいだ。
(そのほうが都合いいけど)
マインドリンクに感謝、龍泉寺教授様々だ。
「おれは幹部のなかでもリーダーとは長い付き合いだ。SoCを旗上げしたときとか、そのくらいからだ」
「古株~」
「それでもリーダーのことは半分もわかっていない。タルタロスが国家機密級デジモンを集める理由か……もし、あるとすれば」
「…………」
「〝壁〟のむこうだ」
マーヴィンのエアドラモンが下をむく。
エイジも、ルガモンの視座で眼下を見おろした。
まるで、ネットワークの星の海に浮かぶ惑星。
人類がいう未踏の〝深層〟デジタルワールドは、この〝壁〟であるセキュリティウォールで守られている。
視覚的には惑星の地殻だ。
ただ、これはもちろん〝深層〟デジタルワールドが地下にあるということを意味しない。リアルワールドとデジタルワールドは、そもそも成り立ちが異なる。
強いてたとえれば、これは巨大な宇宙コロニーといったところか。
その内部にこそ、デジモンたちが暮らす世界があるはずだ。ウォールスラムよりはきっと、はるかに豊かな生態系の……。
「〝壁〟のむこう……セキュリティウォールのむこうの〝深層〟……」
リーダー・タルタロスは、真のデジタルワールドを目指す探究者ということらしい。
それは、たとえば龍泉寺教授のような? 〝深層〟を目指すために強力なデジモンを必要としている……?
「それって、リーダー・タルタロスはウォールゲートを突破しようとしてるってこと?」
「かもな」
「うーん」
「あの人は、ただのクラッカーじゃないのさ。デジタルワールドに挑み続け、なにかを探している人だ。探し続けている……」
「探す……? いったい、なにを」
「金や名声じゃないだろう」
「クラックチームのいう〝自由〟?」
「かもな……ネットワークの新大陸で、自分の国でも探してるのか」
武闘派クラックチームとしてサイバーテロをしかけ、世界中の政府と戦ってきた。
そのとき、
「〝タービュランス〟だ……!」
エイジが発見した。
セキュリティウォールの表面にノイズの嵐――〝乱渦〟が発生していた。
「ああ……だが、あれは小さい」
ルガモンが言った。
発生した〝乱渦〟はすぐに消えたようだ。あれなら9番街の連中に危険はないだろう。
「そっか、よかった!」
「あのあたりが〝巣〟だ。言ったろ……〝魔の海域〟ってところだ。だれも、あんなところには近づかない」
「〝乱渦〟は、おれたちクラッカーにとってもやっかいな災害だ。あんなのに巻きこまれたら、ツールで自動行動しているデジモンなんか、ひとたまりもないだろう」
くわばらくわばら。マーヴィンは、なにかのまじないを唱える。
「あの〝乱渦〟ってさ」エイジはマーヴィンにたずねた。「〝乱渦〟にもぐったクラッカーはいないのか?」
「穴を見ると、もぐりたくなるのがクラッカーだな」
マーヴィンは苦笑いを返した。
「あれってセキュリティの穴だろ? セキュリティウォールが守っているのが〝深層〟だっていうなら……」
「〝乱渦〟にデジモンをむかわせたクラッカーは、それこそ数えきれないほどいただろうな」
竜巻の内部や、過酷な環境の惑星に探査機をむかわせるように。
〝乱渦〟は〝深層〟デジタルワールドを目指す人類の好奇心と冒険心を吸いこむ。
「どうなった?」
「なにかしらのデータを発見して、〝深層〟から戻ってきた幸運なクラッカーとデジモンがいるという話は、聞いたことがない」
マーヴィンの答えは、先日ルガモンが話したこととも符合した。
――たとえ〝乱渦〟そのものに耐えられたとしても、生きては通れない。奇蹟を起こしても不可能だ。
「デジタルワールドのシステム管理者は、リアルワールドからの侵入者をほうっておかないから……か」
エイジはルガモンの言葉を思いかえした。
「デジタルワールドのシステム管理者なんてものがいたとして……おれたちには、まったく想像もつかないがな」
「マーヴィンでもわからないのか?」
「あのプロフェッサー・リューセンジでもわからんだろうさ。ただ、こんなうわさ話がある。以前、あの〝穴〟にマインドリンクして挑んだスゴ腕のクラッカーがいた」
「…………! どうなった」
「DMIA」
マーヴィンは短く答えた。
「行方不明か……」
エイジは身震いした。
マインドリンクは、確かに段違いのパフォーマンスを発揮する。
しかし一方、もしマインドリンクしたデジモンが行動不能になれば、タイムリミットによってDMIAとなってしまう。デジモン自体が破壊されて死んでしまえば、デジコアもろとも人間の意識もデータの屑となってしまうだろう。
「〝乱渦〟に挑めば、システム管理者のお姿の一端を拝めるって怪談話もあるな。その〝神様〟の姿を見た者は……死ぬ」
「え?」
「神話の時代からのお約束だろ。神様の、ほんとうの姿を見た者は灼かれるんだよ」
めったなことを考えるなよ、とマーヴィンは警告した。
――〝乱渦〟には、ぜったいに近づくな。ヤバいやつが出てくる。
それはSoCでも、不文律として定められているという。
「〝乱渦〟には近づくな、か……」
これからむかうX国のサーバでも、なにかしらの戦闘になれば、いつでも、その〝人生の終わり〟というやつは訪れるのだろう。
たとえ望まなくても……。
「――デジタルワールドで生きるって……口でいうほど、簡単じゃないな」
「おまえみたいなスゴ腕でも、そう思うのになぁ……! 近ごろの若いクラッカーはファッション優先で遊び感覚がすぎる」
マーヴィンは年寄り臭いことを言った。
「じゃ、気合い入れるか」
「ひとつ、いいことを教えてやる」マーヴィンが言った。「リーダー・タルタロスが指揮した作戦でDMIAになった者はいない」
SoCのリーダー・タルタロスとは、そういう人間だと。
(信頼されてるわけだ、リーダーは……)
クラックチームのなかでも武闘派のSoCを束ねるリーダーだ。カリスマ性がいるだろう。
「――おしゃべりはここまでだ。X国データサーバにアタックをかけるぞ。ここからは、敵の真っただ中だ」
マーヴィンが警告した。
こちらが攻撃するのだから反撃がある。
エイジは仮想モニタを脳直ではじきながら、ツールを索敵モードで起動した。
ネットワークの海を浮上していく。
水面にはリアルワールドのサーバ群が、島や船のように浮かんでいる。そのうちのひとつが目標のX国サーバだ。
外観は、ひと言でいって……悪趣味。
独裁者自身を模した彫像のイメージがそびえていた。
「あのおっさんの像のなかに入るのかよ……」
エイジは、小さいころ北関東にある、どでかい大仏のなかに入ったことを思いだした。
――〝スピニングニードル〟!
エアドラモンが羽ばたき、刃の衝撃波が敵のデジモンをなぎ払った。
敵はX国・防衛部隊。
親衛師団に属する軍人だ。プロだ。でも、あきらかに実戦慣れはしていなかった。
――〝ハウリングファイア〟!
ルガモンが魔炎を吐きだし、通路を消えない炎で封鎖。追ってくる防衛部隊を足止めした。
「さすがだな」
マーヴィンがエイジとルガモンを賞賛した。
「おれは、このまま……成長期のままでいいのか?」
ルガモンが言った。
エアドラモンは成熟期だ。負けず嫌いのルガモンとしては、せめて同格のルガルモンに進化したいのだろう。
「2人1組、ツーマンセルだ。エイジとルガモンはサポートにまわってほしい。そのためにも成長期のまま、マインドリンク持続時間を維持しつつ戦闘を切り抜ける。おまえに送ったツールに、タイマーがついてるだろう」
マーヴィンが言った。
エイジは、この作戦に「必要なもの」として、マーヴィンが製作したツールを希望したのだ。
「タイマー……この右下のだね」
エイジは仮想モニタを見た。
ツールの右下にデジタル式のタイマー時計がある。残り時間が表示されており、確かに漸減していた。ルガモンは成長期なので、カウントダウンのペースはゆるやかで、おおむね1秒ごとに1カウントだ。
「――マーヴィン。あんたにもらったマインドリンク仕様のツール、いいな。すげぇ体感的に使いやすい」
「それはエンジニア冥利につきるよ」
このマインドリンク活動限界タイマーがゼロ――Lラインに到達するまで、いいや危険を警告するKラインになる前に、すべての作戦を完了しなくてはならない。
エアドラモンが成熟期なのは……百戦錬磨のマーヴィンコンビにとっては、成熟期で運用しても充分に時間が足りるということか。
「エイジ。おれたちふたりとパートナーデジモンは、この作戦全体の切り札だ」
マーヴィンが言った。
「おお、切り札」
「現在、サポートメンバーがX国に対してサイバー攻撃をしかけている。あらゆる総攻撃だ。このサーバに侵入している別チームも、すべてが囮になる。おれたちは、これから機密級デジモンのところに直行、それまでは可能な限りマインドリンク時間を維持だ」
ワイヤーフレームで描画されたトンネルを抜けていく。
リアルワールドのサーバは、とても無機的に見えた。
ふた昔前のゲームみたいだった。マインドリンクしたときに見える景色が、デジタルワールドとはこんなにも違うのかと。
「つまり、おれとマーヴィンとで国家機密級の激ヤバデジモンを捕獲する……」
ここまでX国防衛部隊の抵抗は、思いのほか少ない。別チームがうまく陽動してくれているのだろう。
「なにかあるぞ」
ルガモンが警告を発した。
ややあって、先行するエアドラモンが停止した。
ワイヤーフレームのトンネルの行く手を、隔壁がふさいでいた。
「でかい……!」
エイジは見あげた。
スケール感でいえば4、5階建てのビルほどもある……扉だ。
「機密級デジモンは、このむこうか? よく気づいたな、ルガモン」
「鼻が利くんだよ、おれは」
「こいつは、いくぶん骨だな……! ここのセキュリティロックを突破するのは」
マーヴィンのエアドラモンが隔壁との距離を測る。
「そうでもない」
ルガモンは無造作に隔壁の前にすすんだ。
「? ルガモン……?」
「エイジ、ツールを起動だ。モードを〝デコード〟に」
「お……おう!」
デコード――暗号解除。
ルガモンのひたいに埋めこまれた例のインターフェースがかがやく。
「おい、おい……!? マジかよ……!」
マーヴィンがあっけにとられた。
デコード進展率……たちまち100%に達する。
ゴゴゴゴゴゴゴ……!
ロックが解除されて、巨大な隔壁が音を立てて開いていった。
「鍵開けは得意らしい」
ルガモンは他人事のように言った。
マーヴィンのエアドラモンは、感心したのか、くるっと空中で1回転した。
「エイジ、ルガモン……おまえらだったら中央銀行の金庫だってチョロいんじゃないか。ニューヨーク連銀の地下に、ほんとうに何十兆の金塊があるのか見てきてくれよ」
「やー、それやるとガチで逮捕されちゃうし」
そう言ったエイジも内心、舌を巻いていた。
ルガモンのポテンシャルは、計り知れない。
X国データサーバの大隔壁は開放された。
がらんとした、暗闇の空間が口をあけている。
そこには――
――ォオオオオオオオオオオオオオオ…………!
ム ゲ ン ド ラ モ ン
X国・国家機密級デジモン。
過去、サイバーテロ、電子取引詐欺、紛争における敵国へのネットワーク妨害など、あらゆる事案にかかわってきた。
人類の〝敵〟だ。
あらゆるサイボーグ型デジモンのメタルパーツをつなぎあわせたという、異形のフランケンシュタイン。とにかくデカい。格納庫の入り口のサイズにも納得だ。全身、鈍色のボディは、最強生物の象徴である肉食恐竜をモチーフとしながら、両肩に大口径の∞キャノンを装備していた。
――ムゲンドラモン 究極体 マシーン型 ウィルス種
「おいおいヤバすぎんだろ……!」
エイジはブルっときた。
クラッカーであっても、究極体デジモンを目の当たりにすることは、そうそうあることではない。
ましてや、それが捕獲ターゲットとは。
「あんなのは首輪をつながれた飼い犬……いいや、それ以下だ」
ルガモンがはき捨てた。
「? どういうこと」
「見ろ、ツールでガチガチに拘束されている」
ルガモンの言うとおり、ムゲンドラモンはX国サーバ内の格納庫ドックで、文字どおり磔にされていた。
全身に拘束具が追加されて、コードでがんじがらめにされている。
――ォオオオオオオオオオオ…………!
ムゲンドラモンは低い音を立て続けている。
なにを言っているのかはわからないが、それは怒りでも、悲鳴でも、恨みでもないように聞こえる。
命を感じないデジモンだ、あれは。
「――生かさぬよう殺さぬよう、やつの能力だけを利用してってわけだ。あわれなもんだぜ」
ああはなりたくないな、と。
ルガモンは、意外にも、つらそうな目線でムゲンドラモンを見ていた。
マーヴィンのエアドラモンが前に出た。
「一気にたたくぞ……! エイジ、おまえはサポートを」
「お……おう」
「エアドラモン、進化――」
進化のかがやきとともに。
下半身は神話のナーガのごとき蛇体。
上半身は筋骨隆々とした竜人で、それが半分機械のカラダとなっている。サイズは成熟期のエアドラモンから、さらに大型化した。
幻獣型からサイボーグ型になったマーヴィンのデジモンは、より兵器としてのイメージに研ぎ澄まされた。
――メガドラモン 完全体 サイボーグ型 ウィルス種
エイジは息をのんだ。
「完全体メガドラモン……!」
わかったのは……マーヴィンのデジモンから受けるプレッシャーが数段、上がったこと。
これが〝ソングスミス〟マーヴィンの本気なのか。
メガドラモン――
あらゆる完全体サイボーグデジモンでも、最強最悪のパワーを誇るという破壊の化身だ。すべてを破壊するためのプログラム、コンピューターウィルスそのもの。いかなるセキュリティで守られたネットワークにも容易に侵入を果たし、ホストコンピューターを沈黙させ改造さえしてしまうという。
メガドラモンは両腕をかかげた。
重機の解体用アームの先端を思わせる、三つ叉になったペンチのような手が開く。
その奥から射出口が現れた。
――〝ジェノサイドアタック〟!
ミサイルの連続発射。
無数の弾頭がムゲンドラモンに着弾、炸裂し蹂躙しながらコードをつぎつぎと爆破切断していく。
「おいおい、ムゲンドラモンごとやっちまうんじゃ……!」
あたりを警戒しながら、エイジは気が気ではない。
ムゲンドラモンは反撃してこない。
できないのだ。究極体とはいえ完全に人間の管理下に置かれてしまっていた。ムゲンドラモンという個のデジモンがいるのかさえ、定かではない。
「攻撃しているのはツールの接続部だけだ」マーヴィンが言った。「自由を奪われているとはいえ、相手は究極体デジモン。捕獲なら強引にやるしかない」
「強引って……?」
「ジャマな拘束具を破壊して捕獲ツールを実行する。食らえ、すべてを切り裂く刃――」
メガドラモンは両腕をクロスさせた。
――〝アルティメットスライサー〟!
破断。
あらゆるデータを切り裂く、十文字の斬撃がムゲンドラモンめがけて放たれた。
バババババババッ!
突如、火花のスパークがルガモンとエイジの視界をふさいだ。
衝撃電流。
はげしい明滅と振動が、デジコアにいるエイジから判断力を奪った。
「くそっ! なんだ、この電気……!?」
デジモンにとって電気とは、ふだん体に流れている血液、空気にも等しいものだろう。しかし過電流でオーバーロードすれば、デジモンそれ自体が過負荷によって壊されてしまいかねない。
混乱のなか、ルガモンは鼻を利かせてサーチした。
――究極体 神人型 ワクチン種
「究極体……って!?」
仮想モニタに表示されたデータに、エイジは声を裏がえした。
ムゲンドラモンのほかにも、まだ究極体がいたと……?
ようやく光の明滅がおさまってくる。
壁面を稲妻状のパルスが伝い、格納庫のなかは縦横無尽に火花がほとばしっていた。
フッ!
風鳴りのような音がした。
エイジとルガモンは目をうたがった
「!?」
「メガドラモンが!」
キャラクターデザイン・挿絵イラストレーター:malo