――〝クラックチーム〟
「ネットワークの自由、デジタルワールドの自由」を目的とし、その共通理念のもとで、賛同する匿名個人によって構成されたコミュニティだ。
会員名簿があるわけではない。なかよしの、お仲間クラブでもない。
クラックチーム内でもさまざまなグループがある。思想も、行動原理も目的もことなる。しばしばチームのあいだであらそったりもする。
クラックチームは既存の法と権力――政府とは反目している。
反社会的集団というレッテルをはられた、はみだし者の集団であること。そこが消去法による共通点ではあった。
それでもクラッカーを名乗る者は、おおかれすくなかれクラックチームの理念に賛同して、ゆるやかにその活動に参加しているのだ。
モニタに、GriMMの動画サービスにアップされていた、クラックチーム喧伝用のショートムービーがながされた。
「――ネットワークの自由、デジタルワールドの自由……デジタルワールドには国境も法律もない。だからデジモンをもちいたすべての活動を、いかなる政府、法律もはばむことはできない」
龍泉寺が語る。
それがクラッカー側の、よくある言い分だった。
「むずかしいことはわかんないですけど。コネも学歴もなんもないおれには、いちばん稼げる仕事だったから」
クラッカーに興味をもったのは高校在学中だ。
ちょっとワルい先輩にそそのかされて、クラッカーごっこでこづかい稼ぎをすることをおぼえた……よくある話だ。
むいていたのかもしれない。バイトとしては充分、金になった。
それが、いろいろあって大学受験をあきらめてから、エイジは本気でクラッカーをめざすようになった。これで人生食っていくか、と。
「好きなようにできていいね」
「ほんと! 好きなように働けるだけですけどね」
「だが政府にとってクラッカーは、めんどうばかりおこすネットワークのならず者だ」
「ネズミとりには気をつけてますよ! 欲ばってると〝デジ対〟が来ますからね」
警察のサイバー犯罪をあつかう部署には、デジモン犯罪に対応するチームがある。
通称・デジ対。
おおやけにはされていない裏の組織だが、クラッカーのあいだでは知られていた。つい最近も、デジタマを密猟していたクラッカーごっこの高校生がデジ対に検挙されたらしいが。
「クラックチームには参加しているが、理念にはさほど興味がない。きみにとって自由とは、あれか、ファッション感覚かね」
「浅いっすよね~! でも、いまは仕事と実績がほしいんで!」
「実績か……きみの未来は、どこにつながっているのかな。エイジくん、きみの……そう、夢は」
「おれ……勝ちたいんだ!」
エイジはすなおな気もちを答えた。
「ほう、なにに勝ちたい?」
「現実ではむりだけどネットでなら……というかネットでデカくなって、のしあがれば現実がかわるはず! そのために稼いで、デジモンを進化させて……超一流のクラッカーになりたい! それこそ自分のチームをもてるくらいの!」
「それは、クラッカーでなくてはならないのかね?」
「うん! おれにとってデジタルワールドは……きっと、おれの人生をかえる場所だから……!」
予感がある。
この仕事はエイジが超一流のクラッカーになる、人生をかえる千載一遇のチャンスだ。
「――おれも龍泉寺教授とおなじレベルになりたい! モニタや観測データじゃない、人間の五感で直接デジタルワールドをとらえる……そんなことができるのなら、できたなら……!」
ありのままに。
――デジタルワールドで、もし生きられたら。
エイジのその言葉を聞いたとき、龍泉寺はたしかに笑ったのだ。
「デジタルワールドはね……ひとの人生をかえるよ」
私のように、と。
エイジは、それを世界でも指折りの資産家となった、成功者の言葉としてうけとった。
自分にはいま、なにもない。
財産も学歴も、ついでに彼女も。
そんな心のよゆうがなかった。3畳の極狭ワンルーム、不健康で不規則な食生活。生きていくだけなら、若いうちはどうにかなるのだろうが。それでは、ただ老いて時間をついやしていくだけだろう。
それじゃ、つまらない。
「おれは……いまの人生をかえたい! デジタルワールドで勝ちたいんだ!」
覚悟。
だから、せっかくできた龍泉寺とのコネを、ぜったいに手放すつもりはなかった。
どんなにしんどいことがあっても、この育成の仕事もデジモンリンカーも、ルガモンも……石にかじりついてでもモノにしたい。
なにがあろうと、だ。
「ずっと見てきたはずの、知っているはずの世界が、切り口をかえることで、はじめて理解できることもある」
龍泉寺がつぶやいた。
「…………?」
「よかった。実にいい。ルガモンを育成してほしいとはいったが、それは同時にエイジくん、きみをテストしていた」
「あー……また、そういうこというんだから!」
「思想までクラックチームにどっぷりならば。自由に酔って、自由を浪費している幸福で愚かな若者であるなら、この仕事をたのむつもりはなかった」
――〝SoC〟
3文字のアルファベットをあしらった徽章――バッジ。
喧伝ムービーに登場したこのマークは、ネットのアンダーグラウンドをのぞこうとした者であれば目にしたことがあるはずだ。
「〝サンズオブケイオス〟……!」
エイジは息をのむ。
「混沌の息子たち、というところかな。知っているね」
「もちろん! 超有名なクラッカー集団……」
「きみのSoCへの率直な印象は?」
「…………」エイジは答えた。「やべーやつら、かな」
彼らは超一流だ。あこがれはある。
でも、お気楽で要領のいい人生をたのしみたいなら、かかわってはいけない輩だ。
過激派。
クラックチームでも最右翼とされる武闘派組織。
「――デジモンをつかった犯罪……情報窃盗、企業脅迫、サイバーテロ、なんでもあり。でもSoCのリーダーはカリスマだ! あの『キュクロプス(ひとつ目の巨人)事件』の首謀者、世界とわたりあった伝説のクラッカー・〝タルタロス〟……!」
キュクロプス事件についてここで述べることはしない。クラッカーそしてクラックチームという存在、デジタルワールドの存在を、国際社会の首脳たちが無視できなくなった、おおきな契機となったできごとだった。
SoCのリーダー、クラッカー・タルタロスは正体不明。
日本人らしいということ以外、うわさらしいうわさもない。
「ダークヒーローというのかな。タルタロスは人気者だ。私なんかより、ずっとだ」
龍泉寺は笑った。
「GriMMにもタルタロスの信者はおおいけど……ああいう過激派が目立ちすぎると、法規制がきびしくなるっていって、きらってるやつもおなじくらいいる」
「そこなんだ」龍泉寺はエイジを見た。「彼らSoCはあまりにも……悪い意味でデジタルワールドに干渉している。過干渉によってデジモンの生態系、ひいては人間社会にリスクを生じさせている。当然、私の研究にもだ。私は、そのことをきわめて懸念している」
「はい」
「デジタルワールドとリアルワールド……法的規制の強化によって、ふたつの世界がいま以上に隔離されてしまうことは、人類にとってもデジモンにとっても不幸なことだ。そうは思わんかね?」
龍泉寺は、クラッカーに対してはニュートラルな立場をとっていた。でなくてはエイジに仕事を依頼したりはしないだろう。
だが、デジモンをもちいた凶悪犯罪、テロリズムについては深く懸念している。
それは、とりもなおさずデジモンを愛しているからだ。
龍泉寺がゆるせないとすれば、デジモンを悪用して危険にさらす人間でありクラッカーだった。
「教授なら、政府とか政治家にも顔がきくんじゃ……?」
エイジは問いかえした。
龍泉寺はテクノロジー関連の政府有識者、デジタルワールド特別顧問だ。たしか警察の装備品選定にもかかわっているはず。
「もちろんロビー活動はしてきた。ところが、いまの総理は検討ばかりで実行力がなくてね……警察はといえば法律にしたがってクラッカーをとりしまるだけだ。関連法は未整備、不十分で……なかなかうまくいかない」
「教授……なんか話が、やばいほうにむかってる気がするんですけど」
「聞くのをやめるかね」
「まさか……! わくわくしてきたんですよ!」
クラッカーとしてやっていくと決めたときから、いつかは――こんな仕事がしたいと思っていた。
デジモンの捕獲やデジタマ採取、ジャンクデータあつめじゃない。
クラッカーとして、ほかのクラッカーに相対する……そんな危険な香りがただよう大人の仕事を。
「潜入調査だ、サンズオブケイオスへの。謎のリーダー・タルタロスの目的にせまってほしい。すべてはデジタルワールドとデジモンのためだ。彼らを守るために……!」
挿絵イラスト:PLEX