そこはネットワークの海。
ドーム型シアター。
中央に立ったエイジのまえで、ワイヤーフレームで構築された模式図が投影される。
ワールドウェブ――波にただようのは国家、企業、研究機関などのサーバ群。それらは浮き島、あるいは船などで表現されている。
ネットワークの海にもぐる。
すると深海の領域には、まったくべつの世界がひろがっていた。
――〝デジタルワールド〟
ドームシアターにガイド音声がながれた。
ワイヤーフレームの模式図が立体化して、あざやかにいろどられる。
『それは、われわれの現実世界リアルワールドとはことなる世界。デジタルネットワーク上に存在する電脳空間であるといわれています』
ネットワークの海のむこうにひろがる〝異世界〟デジタルワールド。
山紫水明――
画質は粗かったが、すみわたった美しい大自然だった。玄関ロビーで見た環境映像のような。
『そのデジタルワールドに生息しているのが、この――』
データが立体化された。
ホロライズ。
電脳大が主導し、AE社が実用化をすすめた技術だ。街中で見かける3Dデジタルサイネージにも、このテクノロジーが応用されている。
『――このデジタルモンスター、〝デジモン〟です!』
なにかがホロライズされた。
ぱっと見は……カエル?
尻尾がついたままの、カエルになりかけのオタマジャクシだ。スイカみたいな緑に黒のシマもよう。特徴的なのは背中にそそりたったモヒカン刈りみたいな背ビレと、手足のかぎ爪、ナマイキにもキバがはえている。
――ベタモン 成長期 両生類型 ウィルス種
カエルもどきのデータが表示された。
『デジモンは、デジタルワールドに生きている情報生命体……命あるAIなのです!』
どんな教科書にも載っていないこと。
(命ある……AI……?)
魚類、両生類、爬虫類、哺乳類、植物、昆虫、甲殻類、軟体動物、さらには機械や化学現象、そのほかの有象無象、はては八百万の神仏妖魔のごとき――さまざまなモチーフからなるデジモンたちが、つぎつぎとホロライズしていく。
デジタルワールドの発見と、その研究の歴史。
デジタルモンスター、デジモンとは。
デジモンの進化(幼年期、成長期、成熟期、完全体、究極体)。
デジモン分類の基本となる3つの属性について。…………
ホロライズしたデジモンにつづいて、それらが映像とともに解説されていった。
「あのオブジェ、ロビーにあった……」
オブジェの映像から3色のレーザー光が放たれて、ドームシアターの中央に立ったエイジをなめまわすように、何度もくりかえして照らした。
「デジモン分類学の基礎となる3属性――〝ウィルス種〟〝データ種〟〝ワクチン種〟のモチーフだね」
龍泉寺が説明した。
『デジモンは、ネットワーク上の新世界であるデジタルワールドとの接触が、人類にもたらした果実……! デジモンは人間社会に革命をもたらしました。デジモンをAIツールとして利用、応用することで、ソフトウェア開発、暗号セキュリティ、AI創薬といった分野で、めざましい発見がありました。しかし――』
それは、人類の秘密だ。
世界の人々のほとんどは、未だにデジタルワールドの存在さえ知らないのだ。
ふいに映像が乱れた。
ドームシアターが振動する。
――たとえ知ってはいても理解はしていない。
そのセリフだけ声色がちがった。機械で加工したような声だ。
『――それは表と裏。うらがえせばデジモンを、サイバーテロの道具として悪用することもできます。いわゆる〝デジモン犯罪〟の発生です』
映像の場面は、ふいに現実世界に飛んだ。
そこは……旅客機の客席。
窓の外には、翼。
ジェットの轟音をひびかせて、飛行機が夜の雲上を飛んでいた。
乗客のひとりがスマホで機内を撮影している……そんな映像だ。
かたわらで毛布をかぶって寝ているのは撮影者の妻か、恋人か、娘か……。
――ボウッ!
リアルな風鳴りがエイジの耳をふさぐ。
世界はノイズであふれて、そして……ただ、しずかに。
――――ォオオオオオオオオンッ
予兆もなく。
視界がかたむく。映像のアングルが乱れる。アラート。機内に酸素マスクがおりてくる。
悲鳴。
混乱。
(……………………!)
エイジは思わず目をそらした。
観ていられなくなった。だが、どうすることもできない。
ふいに機首を落とした旅客機は高度3万数千フィートから、まっさかさまに、
雲をつきやぶって墜ちていった。
龍泉寺智則は、デジタルワールドの発見とデジタルモンスターの研究において、つねに世界をリードしてきた第一人者だ。
そもそも電脳大のとなりに、このAE社のデジタルラボがあるのも彼の存在がゆえ。
ひとりの研究者が、これほど大学の知名度、企業の業績に貢献した例は寡聞にして知らない。今日の電脳大とAE社のめざましい発展は、龍泉寺教授の功績があってこそだった。
「すばらしい!」
エイジが納品したガジェット――デジモンドックを検品すると、龍泉寺は賞賛とともに顔をほころばせた。
DDL、龍泉寺のオフィス。
一部がガラス張りになった個室だ。機材と資料、ダンボールでぎっしりの棚がところせましとならんで、大学の研究室みたいなありさまだ。
龍泉寺がデジモンドックをラボの機器に接続すると、エイジが捕獲したデジモンがホロライズされた。
尻尾がついたカエルもどき。
「たしかに依頼どおりの〝モドキベタモン〟だ! 見たまえ、このなだらかで美しい曲線を!」
龍泉寺はモドキベタモンの映像の輪郭を、いとおしそうに指でなぞる。
未知なるデジタルワールドで発見されるデータのなかでも、このデジタルモンスター・通称〝デジモン〟とよばれるAIプログラムは、その利便性、拡張性、希少性から、GriMMのマーケットで高値で取引されていた。
「そいつを捕獲するのに、ティラノモンを3頭もつかったんですからね!」
作業机に荷物をおくと、エイジはアピールした。
ここはD4区画ではないので私物はかえしてもらっている。
「ほう、それは大変だったね」
ベタモンは、ピンチになると背ビレの部分を投げつける習性がある。
モドキベタモンの場合は背ビレから衝撃波を出すのだったか……捕獲に使用したエイジのティラノモン(3号)は、その技〝ブレードフィン〟でやられてしまったらしい。
「はい! でもね教授……おれにはそのモドキベタモンが、どこがどうほかのベタモンとちがうのか、わからないんだけどな……」
「なんだと?」龍泉寺はムッとした。「エイジくん、きみにはわからないのか? ベタモンと、このモドキベタモンのちがいが!」
クライアントの機嫌をそこねてしまって、エイジはあわてた。
「えーと……うーん、色が……ちょっとちがう?」
「そうだ! モドキベタモンは、ちょっとだけ色がうすいんだ! さすが、きみはちがいがわかる男だね……エイジくん、今回の報酬にはすこし色をつけておこう」
「はいはいはい! まいど!」
あてずっぽうが正解だったらしい。これで晩飯は、牛丼肉盛りに漬け物と生卵がつけられる。クライアントも大満足だ。
龍泉寺は、モドキベタモンのデータをラボの機器に転送しはじめた。
「――エイジくん。ところで、さっきのはどうだったかな」
「さっき……D4区画で観た映像ですか? めっちゃ、よかったですよ!」
「あれは、とあるプロモーションビデオでね。以前、わが社にもエンターテインメント部門に進出する計画があった。名づけて『デジモンランド』……」
「ウケる」
「ふむ」
「デジタルワールドのことなんか知らない一般人に、デジモンをキャラクター化して売りだそうっていうのが! デジモンはAI生命体……生き物だっていう設定が、とくによかったかな。ファンタジー? フィクション? おれが子供だったら夢中になったかも」
エイジは感想をたれながした。
「デジモンは生きているよ」
キャラクターデザイン・挿絵イラストレーター:malo