音はうせて、視界はとおのく。
腕にまいたデジモンリンカーの感覚ごと、手足はどこかにいってしまった。
エイジの意識はとんだ。
めまい。
ぐるん、と三半規管が失調。
世界がひっくりかえりながらころがりおちていく。
沈む。
沈んで……ふいによみがえったのは子供のころの記憶だった。
夏。
家族で川遊び。そうだ、あのときは家族も、友達とその家族もいた。
いちばん仲がよかった……。
――Leon!
BBQの準備をしていた友達の親が、息子をよんだ。
――Eiji!
友達はエイジの名をよんで、川からあがろうとする。
そのときエイジは中州をめざして、知らず知らず深みまで入っていた。ふりかえったとき川底の砂地に足をとられた。
(っ…………! っは!)
一歩先は、見えない崖。
水泳はそこそこできたはずだが、ながれのある川はプールとはちがった。
体がうかばない。
立ち泳ぎなどできずに、顔を水につけるしかなかった。
そのとき垣間見えた水面下は――
別世界。
きれいな清流の下は、深くえぐれ落ちて、子供などかんたんに飲みこんでしまう魔物の住処のようで。
空気の泡が渦をまく。
すいこまれる。
そして、すべての感覚がオチた。
それは、でも一瞬だった。だったと思う。
モフっとしたなにかがエイジの意識をやさしくうけとめた。
ウェットスーツを着て、ぷかぷか水にうかんだ感覚。
やがて……泡のなかで散乱した光は像をむすんでいった。
あらたな世界へ。
いいや、ずっと見てきたはずの世界が……切り口をかえることで、かつてない刺激をエイジの意識にたたきこんだ。
(…………!?)
まぶしい。
ここは光の刺激が強すぎた。なのに、まぶたを閉じることができなかった。
なんだ、これは。
混乱。不安。
なにが見えたのか、なんなのかわからない。
デジタルズームっぽく粗く拡大されたかと思えば、双眼鏡を逆にして見たときみたいにとおざかる。ノイズが頭を這いまわる。ガサゴソと耳のなかに虫が入って暴れている。
獣臭い……。
(雨でぬれた犬の臭いだ、これ。ひどい夢だな……)
――夢じゃねぇ。
その声だけは、はっきりと聞きとれた。
(え? だれ……?)
ガシャン!
なにかを蹴ってひっくりかえした音がして、だれかが走ってきた。
――チューモン 成長期 獣型 ウィルス種
ヘッドアップの位置にデータが表示された。
大昔の洋物アニメみたいな動きであらわれたのは、ちいさなネズミのデジモンだった。ピンクの裸ネズミは、両手いっぱいにデータのかけら――チーズをかかえている。
ここは、どこだ……。
ビルの内部。
壁も天井も床もコンクリートだった。建設中、というか廃墟……?
つづいて、べつのデジモンがあらわれた。
――チューチューモン 成長期 獣型 ウィルス種
こちらもネズミのデジモンだ。
ただし獣ではなくパペット――目つきのわるい、ぬいぐるみのネズミ。そいつが、もう1体のメカっぽいデジモンに乗っている。
――ダメモン 成熟期 突然変異型 ウィルス種
メタリック感のあるボディ、武術でもちいるT字型の棍・トンファーをにぎっていた。
その姿を、ひと言でいうなら、
(ヤカンに手足……? いや、あいつ……ウンコじゃねーか!)
エイジは混乱した。
ここが幻の『デジモンランド』だったら、きっと大歓声。
でも、ウンコがあらわれただけで大ウケできる純粋な子供心を、エイジは思い出のタイムカプセルに片づけてしまっていた。
眼前のできごとを、エイジはつとめて冷静に見つめる。
ダメモンは、チューチューモンが操縦するウンコ型デジモンだ。
「うちのファミリーのブツをくすねるとは、いい度胸ですね」
「ひぃい! 見のがしてくれよぉ、チューチューモン! おなじネズミのよしみで!」
チューチューモンがおどかし、チューモンがチーズをかかえて命乞いをした。
どうやらチューチューモンのエサをチューモンが盗んで、逃げたらしい。
「チューモン、あなたと同類あつかいは心外です」
「ダメ、ダメ」
ダメモンが、もっさりした動作でトンファーをむけた。
と、そこでチューチューモンがこちらの存在に気づいた。
「ところで、そこの犬っころ」
(え? 犬……どこ?)
エイジは相手のいっていることがわからない。
そもそも、これは、なんだ。なにを見せられている。
(デジモンが、しゃべってる……?)
……………………。
「見ない顔ですね……ここらへんはウォールスラムの6番街を仕切る、うちのファミリーのナワバリだ。チューモンを始末するあいだに尻尾をまいて逃げることです。もし、いつまでも私の視界にいるなら……」
「ネズミが、狼にケンカを売るのか。笑っちまうな」
さっき聞こえた声が、またエイジの耳もとでうなった。
まえに出る。
いいや……エイジは動いてはいない。
なのにチューモンにちかづいていくのだ。勝手に……乗っていた車が動きだしたみたいに。
「――なら今日から、ここは、おれのナワバリだ」
「…………! ダメモン、やっちゃいなさい! 〝ガンバルカン〟!」
ガンガンガンガンガン!
トンファーにしこまれたバルカン砲が火を噴いた。
床に壁に、べちょべちょと弾が着弾する。チューモンが右往左往して逃げまどう。
(うっ!?)
エイジは、ふいに吐き気におそわれた。
これは……。
(く……臭ぇ~~~~! 鼻がまがる!)
まるで毒ガス。
ガンバルカンの弾は、威力はたいしてないのだが、耐えがたい悪臭をはなついやがらせ兵器だった。
「あははは! 鼻のきく犬っころには、たまらない攻撃のはず! デジモンの戦いとは、こうやって相手の弱点をつくものです!」
チューチューモンは作戦がはまって大いばりだ。
「ダメ、ダメ!」
「さきに野良犬から駆除しますか……ダメモン! とどめの〝ブー・スト・アタッ〟…………」
ゴウッッッ!
エイジの周囲で、なにかのエネルギーが渦をまいた。 (なんだ……!?) 発火――〝赫〟き炎。 ダメモンが動くよりも速く、
――〝ハウリングファイア〟!
火炎放射がビルのフロア一面をなぎはらった。
なにもかもを焼きつくす。熱と衝撃の渦に、ダメモンは窓を破ってビルの外にぶっとばされてった。
(熱っ……!)
エイジはびっくりした。たき火で、顔をあぶられた感じがする。
「タフなだけがとりえのダメモンが、一撃……?」
チューチューモンはダメモンの操縦席からころがり落ちて、床にとりのこされていた。
フロアで炎がくすぶる。
なにも燃えるものはないのだが、すぐには消えないのだ。
「なんだ、この炎は……! ただの炎じゃない!?」
チューチューモンは混乱する。
その、ぬいぐるみのネズミデジモンを――上からにらみおろす。
「とって食っちまうか……?」
くんくん、臭いをかいだ。
チューチューモンは顔をひくつかせて、ふるえあがった。
「その、ひたいの旧式インターフェースは……! ルガモンだと? ちがう、おまえは……いいや、あなたは〝九狼(クーロウ)城の魔狼(まろう)〟……!」
(ルガモン……?)
エイジは、そこで、はっとした。
チューチューモンはルガモンと話しているのだ。
では、エイジは……。
「クーロウジョー……? ああ、そうだ……思いだしてきた」
エイジの耳もとで、あの声がつぶやく。
「あなた、帰ってきていたんですか、このウォールスラムに……!」
チューモンは、なぜか敬語っぽくなった。
その会話をエイジは――
いったい、どこで、どうやって聞いているというのだ。
「――やっぱり、おまえはマズそうだ……うせろ」
ルガモンは鼻をそむけた。
おそるべき狼の気がかわらないうちに、チューチューモンはまっしぐらに逃げていった。
エイジは――
すっかり話においてけぼりだったが、気をとりなおして話しかけてみた。
「あのー、ルガモン? 聞こえる、こちらエイジ! ルガモンさん……?」
キャラクターデザイン・挿絵イラストレーター:malo