「これがデジタルワールド……!」
声もない。
エイジの表現力では、いいあらわせなかった。
陳腐な表現だがSF映画の世界……外惑星に建設されたコロニー型都市とでもいえば、それっぽいだろうか。
この空は、ネットワークの海。
街は小高い山をおおうように建物が密集しており、山頂から放射状にひろがっている。
建物は、電臨区や中東のような最新の計画都市を思わせるものからスラムのバラックまで、高さも質も落差がはげしい。
いっぽう街の外、周辺には、なにもない。
意味のあるものは、なにもないように見えた。
さながらノイズの砂海
砂とガスと雲におおわれた……あるのはごく希薄なクズデータのながれだけだった。
「――意外! なんていうんだっけ、こういうの……サイバーパンク? こっちよりなんだな」
「どういう意味だ?」
ルガモンがエイジに問いかえす。
「いや、デジタルワールドって勝手に大自然のイメージだったから!」
DDLのロビーで見たデジタルワールドの映像は――あれはAIによる想像図らしいが、四季折々の美しい 自然を連想させるものだった。
「ここはウォールスラムとよばれている」
ルガモンがいった。
「ウォールスラム……!」
「デジタルワールドを守るセキュリティウォール、その外壁にへばりついたジャンクデータのふきだまりの街だ」
「セキュリティウォール……?」
これも、はじめて聞く言葉だった。
「よく見ろ、この街……ウォールスラムが乗っかっている地面――まるいだろう」
「あ……うん」
とおくを見やると、たしかに……空であるネットワークの海と、セキュリティウォールの殻とをへだてる地平線は、まるい。
たとえば飛行機から地球を見おろしたときよりも、はっきりと。
「デジタルワールドは、ざっくばらんにいうとセキュリティウォールというカラのなかにあって、守られている。ここは卵のカラの上にへばりついた街だ」
「内部……って、この地面の下か」
地球でいえば地下……ということになるが、ここはデジタルの世界だ。
たがいに分割、保護された領域。
セキュリティウォールという〝防壁〟すなわちここから見える地面が、リアルワールドとデジタルワールドのデータ処理、論理、概念上の境界をなしているということ。
「おまえら人間のリアルワールドから、ネットワークを介してデジタルワールドに行こうとすれば、セキュリティウォールにはばまれるということさ」
「まって……じゃあ、おれたちクラッカーが、デジモンをツールで走らせていたのは……デジタルワールドだと思っていたのは」
この、ウォールスラムだけだったのか。
「そうだ。クラッカーがつかうデジモンは、このウォールスラムをチョロチョロしているだけだ。大多数のクラッカーはマインドリンクもしていないし、この景色を見ることさえないだろう」
ルガモンの答えに、エイジは言葉をうしなった。
たとえばエイジのティラノモンたちも、このウォールスラムのどこかで、モドキベタモンをおいまわしていたのか……。
「セキュリティウォール……この〝壁〟をこえて、むこうがわ――デジタルワールドに行ったり観測した人は?」
「人間か? いないんじゃねぇの……というかリューセンジの研究目的が、それだろ」
前人未踏。
未だに、このウォールスラムを例外として、デジタルワールドをおとずれた人間はいないらしい。
壁のむこう、いわば〝深層〟のデジタルワールド。
とにかく……。
ネットワークの海の底のありさまを、マインドリンクによってルガモンの視覚を借りて見たとき、エイジのなかで、デジタルワールドについてのすべての知識と先入観はひっくりかえされた。
これは……。
国際社会の首脳部が、デジタルワールドのことを〝人類の秘密〟にふせた気もちもわかるというものだ。
このデジタルのセカイは、リアルの世界と人類に、なにをしでかすかわからない。
デジモンは生きている。
そして生命をやどしている世界は、どこであろうと意味不明なほどのエネルギーが充満しているのだ。
「さて」
ルガモンがひと息ついた。
視界――精神データをデジコアと融合、思考する視点のみの存在となったエイジの意識の目のまえに、ヘッドアップの仮想モニタがあらわれた。
さながら最新の戦闘機のコックピット。ロボットアニメの操縦席といったところか。
「どしたの、ルガモン?」
「エイジ……おまえ、なんでおまえがここにきたのか、おぼえてるか?」
「…………」
「あー、わるかった。おまえは残念なクラッカーだったな」
仮想モニタにファイルが表示された。
――『狼作戦』
「あ!」
サンズオブケイオス、SoCの仕事だ。
共有されたブリーフィング資料が表示された。
資料によれば、ちょうどこの座標で、SoCの現地メンバーにくわしい任務の説明をうけることになっていた。
――2分、遅刻だ。
ボロ布をまとって身をかくした何者か――デジモンが、ビル屋上のアンテナ施設から、エイジたちを見おろしていた。
――******** **期 **型 ****種
仮想モニタにデータは表示されない。サーチを拒否していた。
サイズはルガモンとおなじくらい、ということしかわからない。
「遅刻……?」
作戦資料にあったまちあわせ時刻を、たしかに2分すぎていた。
「リーダー・タルタロスは時間にきびしい」
「トラブルだ。こまけぇことはいいだろ」
ルガモンがいいかえした。
「なぁ、ルガモン……」
エイジが口をはさむ。
「なんだ、エイジ……うおっ!」
ルガモンが、ちょっとびっくりした。
いつのまにか――エイジがとなりに立っていたからだ。
「おお、できんじゃん!」
エイジは自分の両の手のひらを見て、手足を動かしてみる。服は着ていたものとおなじだ。
「エイジ……なにを、いきなり出てきてんだ、おまえは!」
「え? いや……マインドリンクすると、考えただけで仮想モニタでいろいろ操作できるじゃん? そしたら ホロライズのコマンドがあってさ。もしかしてデジタルワールドなら、おれがホロライズできるんじゃないかって、ためしてみたんだ」
そしたらできた。
「怖いとか、不具合がおきたらどうしようとかは考えないわけだな……」
「んー?」
「適度にバカ……いや、勇気があっていいな」
ルガモンは深く考えるのをやめたようだ。
エイジは、手をのばしてルガモンのひたいをなでた。
モフッ
「あれ……? もふ、っと……」
「おれのデコにさわるんじゃねぇ!」
ルガモンはキバをむいた。
「うわぁ、ごめん! でも、なんでさわれるんだ? ホロライズなのに」
さわったエイジのほうがびっくりしてしまう。
ルガモンは頭を猫みたいに前脚でこすった。
「リアルワールドでデジモンがホロライズすれば、そりゃただのデータだが……デジタルワールドでホロライズしたら、データは、こっちの世界では実体だ」
「おお、ガチホロライズ!」
エイジは感覚的に納得した。
「一応いっておくと……マインドリンクしたデジモン、つまりおれから、あまりはなれることはできないはず」
「まぁ、なんでもいいさ! やりやすければ」
ルガモンのとなりに等身大で立ったエイジは、あらためてボロ布デジモンにむきあった。
「あらためて……クラッカー・ファングだ!」
「…………。エイジじゃないんだ」
ボロ布デジモンから冷静なツッコミが入った。
「こまかいことはいーんだよ……! で、仕事は? 面接官の人にもらった資料だと、ええと……ここで、こまかいことを聞くことになってるんだけど」
「その面接官もいってはずだが、この依頼はテストだ、クラッカー・ファング……きみをSoCにむかえいれるかを決めるための。いまのところ遅刻で減点2」
ボロ布デジモンの上に仮想モニタがひらいた。
ウォールスラムの、ざっくりした地図が表示される。
街は、ほぼ円形。
ピザをいびつに切ったように街区がわけられていた。中心部はせりあがって、火山の火口みたいな空白地帯になっている。
ここは……6番街。さっきチューチューモンがいっていた。
「――依頼したいのは、この色で塗られたエリア……ここの調査とマッピングだ。知っていると思うがウォールスラムは再開発がさかんでね」
つねにリアルワールドからの情報がながれこむこの場所は、1日として、すべてがおなじということはありえないのだという。
「マッピング……地図づくりのバイトか! おもしろそう!」
「ウォールスラムはSoCの重要なシノギだ。マップデータはつねに最新にしておきたい」
ボロ布はメモリカード型のファイルを投げてよこした。
エイジがうけとる。エイジの手元の仮想モニタにコード行が表示された。
「マッピングツールだな」
ルガモンは秒もかからず中身を理解した。このあたりは、さすがデジモンだ。
「そのツールを実行しながら現地を歩くだけでオートマッピングされる。調査してほしいのは9番街、なかでも、この……」
「九狼城か」ルガモンが笑った。「ちょうどいい」
「? というと」
「おれもヤボ用があったところだ」
ルガモンはくるっとむきをかえた。
「ルガモン、もういいのか? 説明とか……」
エイジは、あわててあとをおった。
そんなふたりを、ボロ布デジモンはしずかに見送る。
「合格を祈る。タルタロスのために……きみをSoCの仲間とよべる日がくることを」
キャラクターデザイン・挿絵イラストレーター:malo